私は、木嶋佳苗被告のブログはニコニコの「有料ブログ」に移行したものだとばかり思っていましたので、それ以来、「木嶋佳苗の拘置所日記」をまったくチェックしていませんでした。
ところが、先日、何気にアクセスしたら、あたらしい記事がアップされていたのでびっくりしました。さらに、その内容にもびっくりでした。
木嶋佳苗の拘置所日記
http://blog.livedoor.jp/kijimakanae/
木嶋佳苗被告によれば、有料ブログに移行するために閉鎖するという4月の書き込みは、事実ではないのだそうです。
なんだか芸能界と同じように、ここにも魑魅魍魎が跋扈しているみたいで、真相は藪のなかならぬ塀のなか(?)という感じです。
最新の記事(上田美由紀さんへのアンサー)は、例の鳥取連続不審死事件の上田美由紀被告への「反論」でした。相変わらず文章はうまいし、論理も明快で「反論」も的確です。
上田被告と文通していた「大阪拘置所の男性被告」から、上田被告の手紙をお金にしたいので、その仲介をしてほしい、マスコミの関係者を紹介してほしい、という相談事の手紙がきたそうです。そのことについて、木嶋被告はつぎのように書いていました。
そして、マスコミへの対応についても、つぎのように上田被告をたしなめるのでした。
この”上から目線の余裕”が木嶋佳苗被告の真骨頂と言えます。被害者の男たちは、こんな彼女に”母性”を感じ惹かれていったのは間違いないでしょう。でも、それは彼女にとって両刃の剣でもあるのです。
私たちは、ありきたりな人生訓でも、ときに心に染み入ることがあります。それを”弱さ”というならそう言えるのかもしれませんが、私たちにとって、かなしみとかせつなさとかやりきれなさは、生きる上で切っても切れない、文字通りの「人生の親戚」だからです。私たちは、そんな”凡庸な生”を生きているにすぎないのです。木嶋佳苗被告にしても、獄窓からふと夜空を見上げ、しんみりすることはあるはずです。
私たちが少しでも「毒婦」と呼ばれる彼女たちの心の内に触れ、彼女たちの実像を知ろうとするなら、まずそういった”弱さ”から入っていくしかないのです。その意味では、上田被告だけでなく、木嶋佳苗被告自身もまだ心を閉ざしているように思えてなりません。それが彼女のブログを読んで、どこかもどかしさを覚えるゆえんです。
>> 『誘蛾灯』
ところが、先日、何気にアクセスしたら、あたらしい記事がアップされていたのでびっくりしました。さらに、その内容にもびっくりでした。
木嶋佳苗の拘置所日記
http://blog.livedoor.jp/kijimakanae/
木嶋佳苗被告によれば、有料ブログに移行するために閉鎖するという4月の書き込みは、事実ではないのだそうです。
「年上のおじさま」を名乗る第三者によって、4月に書き込みがなされました。私や管理人が指示したことはなく、ログインすることも出来ず、記事の更新や削除が不可能な事態が続いておりました。
4月に書き込まれた記事の内容は、事実ではありません。どのような経路でパスワードが漏洩し、誰が何の意図で虚偽の書き込みをしたのかは判明しています。4月の閉鎖告知記事により、読者の皆様に誤解を与え、ご心配をお掛けしたことをお詫び申し上げます。
(不正書き込みと更新遅延のお詫び)
なんだか芸能界と同じように、ここにも魑魅魍魎が跋扈しているみたいで、真相は藪のなかならぬ塀のなか(?)という感じです。
最新の記事(上田美由紀さんへのアンサー)は、例の鳥取連続不審死事件の上田美由紀被告への「反論」でした。相変わらず文章はうまいし、論理も明快で「反論」も的確です。
上田被告と文通していた「大阪拘置所の男性被告」から、上田被告の手紙をお金にしたいので、その仲介をしてほしい、マスコミの関係者を紹介してほしい、という相談事の手紙がきたそうです。そのことについて、木嶋被告はつぎのように書いていました。
私は、手紙を売ろうと考えるようなさもしい根性の男にこんな仕打ちをされるあなたを気の毒に思いました。そして、こういうレベルの人間との付き合いに貴重な未決の時間を費やしているあなたを不憫に感じました。
そして、マスコミへの対応についても、つぎのように上田被告をたしなめるのでした。
あなたより年下の私が言うのも何ですが、全然余裕がなくて本当に毎日がしんどいなんていうほど消耗した精神状態の時に取材を受けるのは、危険だと思います。結局取材者は、あなたから搾取しているんですよ。
取材を受けるより、あなたのことを心から想ってくれる人との面会を大切にして、気持ちにゆとりを持てる生活を整えるのが先。3度の食事をしっかり食べること!まずはそこから。
この”上から目線の余裕”が木嶋佳苗被告の真骨頂と言えます。被害者の男たちは、こんな彼女に”母性”を感じ惹かれていったのは間違いないでしょう。でも、それは彼女にとって両刃の剣でもあるのです。
私たちは、ありきたりな人生訓でも、ときに心に染み入ることがあります。それを”弱さ”というならそう言えるのかもしれませんが、私たちにとって、かなしみとかせつなさとかやりきれなさは、生きる上で切っても切れない、文字通りの「人生の親戚」だからです。私たちは、そんな”凡庸な生”を生きているにすぎないのです。木嶋佳苗被告にしても、獄窓からふと夜空を見上げ、しんみりすることはあるはずです。
私たちが少しでも「毒婦」と呼ばれる彼女たちの心の内に触れ、彼女たちの実像を知ろうとするなら、まずそういった”弱さ”から入っていくしかないのです。その意味では、上田被告だけでなく、木嶋佳苗被告自身もまだ心を閉ざしているように思えてなりません。それが彼女のブログを読んで、どこかもどかしさを覚えるゆえんです。
>> 『誘蛾灯』