ヘイト・スピーチに関して、国連人種差別撤廃委員会は、日本政府に対して、法律で規制するよう勧告する「最終見解」を公表した、というニュースがありました。

 東京や大阪を中心に在日韓国・朝鮮人を中傷するデモが最近活発になっていることを受け、同委員会は今回、「ヘイトスピーチ」問題について初めて勧告した。委員会はまず、ヘイトスピーチについて「デモの際に公然と行われる人種差別などに対して、毅然と対処すること」を求めた。
 また、ネットなどのメディアやデモを通じてヘイトスピーチが拡散している状況に懸念を表明。「ネットを含めたメディア上でのヘイトスピーチをなくすために適切な措置をとること」などを求めた。ヘイトスピーチにかかわる官僚や政治家への適切な制裁を促した。さらに、ヘイトスピーチの法規制や、人種差別撤廃法の制定を要請した。

朝日新聞デジタル
ヘイトスピーチ「法規制を」 国連委が日本に改善勧告


今年の7月には、国連規約人権委員会も、ヘイト・スピーチを「禁止」するように、日本政府に勧告を出していますので、それにつづいてのきびしい勧告と言えます。

ヘイト・スピーチの街頭デモの映像を見た委員たちが、デモを規制するはずの警察官(機動隊)がまるでデモを警護するように一緒に歩いている場面を見て、一様に「信じられない」と驚きの声をあげていた、という話も伝わっています。これが、世界の常識なのです。

尚、「最終見解」では、慰安婦問題についても、「『日本軍による慰安婦の人権侵害について調査結果をまとめる』ことを促した。」「その上で、心からの謝罪や補償などを含む『包括的かつ公平で持続的な解決法の達成』や、そうした出来事自体を否定しようとするあらゆる試みを非難することも求めた。」そうです。

慰安婦問題も、世界の常識と日本のそれはあまりにもかけ離れているのです。朝日新聞による「吉田清治証言」虚偽の検証報道を牽強付会に解釈して、慰安婦そのものを「朝日の捏造」と決めつけ、すべてを否定して闇に葬ろうとする歴史修正主義的な動きに対しても、国連人種差別撤廃委員会がクギを刺した格好です。

下記の勧告の「骨子」を見ると、ヘイト・スピーチに対して、きわめて具体的にその対策を求めている点が目につきます。日本政府(外務省)は、ヘイト・スピーチの規制は「表現の自由の規制につながりかねない」として、従来どおりの消極姿勢に終始したようですが、委員たちの間からは、「人種差別の扇動は、『表現の自由』には含まれない」という意見が相次いだそうです。

・(ヘイトスピーチを取り締まるために)法改正に向けた適切な措置をとる
・デモの際に公然と行われる人種差別などに対して、毅然(きぜん)とした対処をおこなう
・ネットを含めたメディア上でのヘイトスピーチをなくすため、適切な措置をとる
・そうした行為に責任がある個人や組織について捜査し、適切と判断される場合は訴追も辞さない
・ヘイトスピーチなどをあおる官僚や政治家に適切な制裁を追求する
・ヘイトスピーチの根底にある問題に取り組み、他の国や人種、民族への理解や友情を醸成する教育などを促進する
(同上)


ただ、今の日本の現状を考えれば、日本政府がこの勧告に素直に従うとはとても思えません。

そもそもヘイト・スピーチに対しては、既存の法律でいくらでも対処が可能なはずです。ヘイト・スピーチのデモに対する警察の対応が「甘い」というのはよく指摘されることですが、警察の姿勢は、「ヘイトスピーチなどをあおる官僚や政治家」の存在と無縁ではないでしょう。

安倍晋三首相自身、首相になる前に、ヘイト・スピーチの「愛国」デモの激励に訪れ、直接デモの参加者たちと握手したこともあるそうです。また、今回の改造人事で、自民党の政調会長や女性活躍担当大臣や拉致問題担当大臣(国家公安委員長も兼任!)に抜擢された女性議員たちは、いづれもかつてカルトな主張でヘイト・スピーチを煽り、ネトウヨからは”マドンナ”のような扱いを受けている極右の政治家です。そういった人物が政権与党の要職を占めているような今の政府に、ホントにヘイト・スピーチ規制などできるのか。なんだか泥棒に縄を結わせる話のように思えてなりません。

「ネットを含めたメディア」の問題も同様です。Yahoo!ニュースがどうして、時折、定期的にヘイトな記事を掲載するのか。ネットにアップされる記事は、どうして産経新聞の”ためにする”記事が多いのか。そこには、日本政府の消極姿勢に通じるような深い問題が伏在している気がしてなりません。

週刊誌にしても、えげつないヘイトな記事を書き散らしている新潮社や文藝春秋社は、一方で、日本の文学の二大スポンサーでもあります。新潮や文春は、戦前、作家や評論家を動員して戦争を煽り、全体主義への案内人をつとめたのですが、今また、同じことをくり返そうとしているのです。作家やライターは、新潮や文春の仕事で録を食みながら、「原発再稼動反対」「憲法改正反対」などと「進歩的」な言辞を弄んでいるのです。そして、週刊新潮や週刊文春のヘイト・スピーチや”私刑”の記事には見て見ぬふりをしているのです。どう抗弁しようと、新潮や文春の体質に危険なものがあるのは事実で、彼らは、戦前の”知識人”と同じ轍を踏みつつあるような気がしてなりません。全体主義を以て全体主義を制すではありませんが、「自由の敵に自由を許すな」というような考えにまで踏み込まなければ、ただのおためごかしに終わるだけでしょう。

私は、ヘイト・スピーチを煽るまとめサイトに、巨額の広告費を流しているGoogleも問題ありと思っています。 児童ポルノにはあれほどきびしいのに、どうしてヘイト・スピーチには「寛容」なのか。Google の怠慢は批判されて然るべきでしょう。

ろくでなし子氏の作品は、「表現の自由」の範囲を越えているとして摘発するが、「朝鮮人を殺せ」「海に沈めろ」というようなヘイト・スピーチに対しては、「表現の自由」を盾に野放しにする。そういった権力の恣意性に対して、どこまでが「表現の自由」の枠内でどこまでが枠外かなんて議論をしても、ほとんど意味はないと思います。それでは、自民党のプロジェクトチームのように、ヘイト・スピーチの規制を国会デモの規制にまで広げる罠にはまるだけでしょう。

ヘイト・スピーチは、デモをする人間だけが問題なのではないのです。むしろ彼らは、”煽られる人”にすぎません。役所に煽られて、ゴミのことを考えたら夜も眠れない近所のおっさんやおばさんたちと同じです。いちばん問題なのは、彼らを煽る人間たちです。彼らを煽ってそれで商売をしている人間たちです。政治家や評論家や新聞やテレビや週刊誌やネットのセカンドメディアやまとめサイトなどがそれです。それは、小保方さんや安室奈美恵や江角マキ子の”私刑”にも通じる、この国の言論空間の構造的なものです。どこまでが「表現の自由」として許されるのかなんて弛緩した議論では、とうていその構造的なものに立ち向かうことはできないでしょう。

個人的には、橋下大阪市長のヘイト・スピーチに対する訴訟費用を市で肩代わりするという案のほうが、はるかに具体的で有効な気がします。そうやって、この”私刑”の構造をひとつひとつ目に見えるところに引きずり出していくしかないのです。
2014.09.04 Thu l 社会・メディア l top ▲