昨日の午後、東横線の上り電車に乗っているときのことでした。私は、いつものようにシルバーシートに座って本を読んでいました。電車が自由が丘駅に着いたとき、私の座席の横のドアから色鮮やかな服装の少女が乗ってきたのです。少女は、本の上に視線を落としている私の視界の端を横切って、反対側のドアのところに向かって行きました。

私は、気になったので、一瞬、少女のほうに目をやりました。少女は、こちらに背を向け外に向かって立っていましたが、身長が170センチもあろうかという背の高い子で、スラリと伸びた足は、白と赤のストライプのタイツで包み、真っ白なホットパンツに、足元はニューバランスのピンクのスニーカーを履いていました。また、上は黄色のブランドかなにかのロゴが入ったフリースを羽織り、髪は三つ編みにしていました。タレント?モデル?と思いましたが、タレントやモデルが普段そんな派手な格好をしているわけがありません。じゃあ、やっぱりシロウトなのか。こういう子が渋谷や原宿を歩いていると、スカウトされて「読者モデル」になったりするんだろうなと思いました。

そして、視線を再び本に戻そうとしたとき、ふと、私の座席の横に立っている青年に目がとまりました。典型的なオタクファッションで、それこそAKBのCDを100枚でも200枚でも買いそうな感じの青年です。彼はドアに背を向け、件の少女のほうをじっと食い入るように見つめているのです。私は、ストーカー?と思いました。しかも、青年はときおり股間のあたりに手をやっているのです。私は、変質者?と思いました。危ない、危ない、と思いながら本に目を戻しました。

電車は中目黒をすぎると地下に入り、やがて渋谷に到着しました。渋谷駅のホームは、私の座席の側にあります。少女も身体の向きを変え、渋谷で降りるようです。これからスカウトされるために週末の渋谷の街を闊歩するのかなと思いました。私は、本を読みながらも、ひと目顔を見たいという誘惑を抑えきれずにいました。ドアが開き、少女も乗客の後ろからドアに向かって歩きはじめたとき、私は意を決して顔を上げ、私の脇を通りすぎて行く少女の顔にチラッと視線をやりました。

その瞬間、私は思わずのけぞったのでした。三つ編みの少女は、なんと60才も越していようかという年増の女性だったのです。私は、目を見開き、口をポカンと開けたまま、人ごみに消えていく”年増の少女”の後姿を目で追っていました。

と同時に、私は、心のなかでこう叫びたい気持でした。これが東京だ(だったのだ)!と。70年代・80年代の東京には、こういった倉田精二の写真のような光景がいくらでもありました。あの頃の東京の街角には、西ドイツのハンブルクに似た世紀末の頽廃的な雰囲気がありました。どうしてハンブルクかと言えば、ハンブルクにTUSHITAというポストカードの会社があるのですが、TUSHITAにも同じような世紀末の街の光景を撮った写真が多くあったからです。安井かずみや鈴木いづみが街を闊歩していたのも同じ頃です。

私は、なんとステキな光景なんだろうと思いました。いつから私たちの社会は、異端を排除する窮屈で面白味のない社会になってしまったのか。「愛国」「日本人の誇り」の名のもとに、すべてをひとつの色に染めてしまうような社会。常にそういった同調圧力がはたらく社会。しかし、思わず目を見開くような規格外の色彩のなかにこそ、爛熟した資本主義でしか味わえない自由の魅力がある(あった)はずなのです。今の時代は、”異形な人”が街を歩いていると、誰かがスマホで盗み撮りしてネットで晒し、それを下衆なことばでいたぶるのが常ですが、そうやって自分たちで自分たちの社会を息苦しくしているのがわからないのかと思います。ネットが逆に私たちの「自由と寛容」を奪っているのです。

カルトな総理大臣やカルトな総理大臣のためならどんなことでもしますわというような女性閣僚たちは、どう見てもただのアナクロなおっさんやおばはんたちでしかありません。そんなアナクロなおっさんやおばはんたちに、若者たちはどうしてあんなにいとも簡単に操られるのか。若者たちはどうしてあんなに権威や権力に弱いのか。「時代を造ってきた」(と言われた)若者文化はどこへ行ってしまったのか。鈴木いづみは、「若者文化はバカ者文化である」と言ったのですが、今は「バカ者文化」ですらないのです。

私は、オタクの青年と同じように、渋谷駅の人ごみのなかに消えて行った”少女”をマジで追いかけて行きたい心境でした。
2014.10.19 Sun l 社会・メディア l top ▲