昨日も「ステキな光景」がふたつありました。私の最近のお気に入りのフレーズを使えば、「ええなぁ」です。
ひとつは、小渕優子経産大臣と松島みどり法務大臣が辞任したニュースです。安倍政権の「成長戦略」のひとつである「女性活用」のシンボルとして登用された女性閣僚5人のうち2人が同時に辞任というこの「異常事態」。まさに「ええなぁ」です。
誰かも言ってましたが、これで残るは極右のカルトばかりとなったのでした。下記のリテラの記事にもあるように、残る3人に稲田朋美自民党政調会長を加えた4人は、「女性」や「母性」についても、「女性が輝く社会」とは真逆のネトウヨレベルのトンデモ発言をしているのです。
リテラ
母乳強制、DV擁護、中絶禁止…安倍内閣・女性閣僚の「反女性」発言集
要するに、彼女たちは、マッチョ思想(男尊女卑思想)のおやじたちお気に入りの女性にすぎないのです。安倍政権が言う「女性活用」「女性登用」というのは、本音は「女性利用」にすぎず、権力を握るのはあくまでおやじたちなのです。彼女たちは、権力を握るおやじたちのためならなんでもしますわという「あなた好みの女」にすぎません。そうやっておやじたちにしなだれかかり、頭を撫でられきたのでしょう。その行き着く先が、極右思想であるのは理の当然です。「閑人舎通信」の新藤厚氏は、山谷えり子拉致問題担当大臣兼国家公安委員長について、「山谷親平の娘はむかしはサヨクだったはずである。いつ頃転向したのかは知らないがテレビでの話し方を見ていても可哀そうなほどの知性である」と書いていましたが、そうやってカルトな極右思想でおやじたちを喜ばせ、大臣にまでのしあがってきたのでしょう。
小渕優子経産大臣の問題も然りです。どう見ても彼女は、おやじたちに担がれた「お姫様」にすぎないのです。今回の「カネの問題」の背後にあるのは、信じられないような古い政治の構造です。もちろん、それは連綿とつづくタカリの構造でもあります。それがこの国の保守政党を支える草の根政治の実態なのです。それをマスコミは、「地盤」「看板」と呼んできたのでした。ただ担がれただけの「お姫様」がなにも知らなかったというのは本当なのかもしれません。マスコミは、そんな「お姫様」を将来の女性首相候補と持ち上げてきたのでした。
今回の辞任劇のきっかけは、『週刊新潮』の記事でしたが、いちばん最初に書いたのは「赤旗」で、いわば新潮は「赤旗」をパクったようなものです。一方、新聞やテレビは、トンマな提灯記事を書きつづけ、辞任劇もただ手をこまねいて見ていただけでした。昔、『文藝春秋』の記事が発端となったいわゆる「田中金脈問題」で田中(角栄)内閣が倒れたとき、新聞記者たちは「あんなものは前から知っていた」と嘯いたそうですが、今度もまた同じセリフを口にするのでしょうか。
ところで、小渕大臣辞任に関連して、多額の政治資金が実姉夫妻が経営する南青山の「服飾雑貨店」の商品購入に使われていたことが話題になりましたが、その報道のなかで、実姉が独立する前に、今はなき「イソップ」というポストカードの会社でデザインを担当していたということを知ってびっくりしました。「イソップ」は私も知っている会社で、もしかしたらどこかで会っていたかもしれないと思いました。だからというわけではないですが、小渕優子も政治家などにはならずに、あのままTBSに勤めて、自由に生きていたほうがよかったんじゃないかと思いました。
もうひとつの「ステキな光景」は、橋下徹大阪市長と桜井誠(高田誠)在特会会長との「面談」です。私は、「お前みたいな差別主義者は大阪にはいらない!」「お前こそ、飛田新地に帰れ!」などという名言、いや、怒号が飛び交う動画を見て、「ええなぁ」と思いました。橋下大阪市長は、「面談」のあと、「彼らの宣伝に使われず、一方的に主張だけを述べさせないよう、応対の仕方や打ち切り方を考えて行ったつもりだ」と言ったそうですが、怒号がホントに意図的だったのかは別にしても、橋下市長が言わんとすることはわかるのです。「どっちもどっち」論や「話せばわかるごっこ」などを越えたところにあるのが、ヘイト・スピーチです。ヘイト・スピーチを「言論・表現の自由」で解釈しようとするのは、「講壇民主主義」の空理空論でしかありません。むしろ、あのような怒号(汚いことば)のなかにこそ、問題の本質があるのです。「主張が平行線のまま」などと言うマスコミが、ヘイト・スピーチの問題の本質を理解しているとはとても思えません。
まして警察行政のトップである山谷えり子国家公安委員長が、民族憎悪を煽るヘイト・スピーチのメンバーと思想を共有し「懇ろな」関係にあるという事実は、小渕・松島両大臣の問題など比べものにならないくらい深刻な問題を孕んでいると言えるでしょう。しかし、山谷国家公安委員長に対して、きびしい追求をおこなっているのは欧米のマスコミと一部のフリーランスの記者だけで、新聞・テレビはこの問題に対してもあきらかに及び腰なのです。
ヘイト・スピーチについて、今までマスコミは正面から扱うことを避けてきました。そのため、昨日の動画を見て、びっくりした人も多いのではないでしょうか。だからこそ、あの怒号が飛び交う「面談」は、「ええなぁ」と思うのでした。動画を見て、いろんな人たちがいろんなことを考えたことでしょう。そのことによって、ヘイト・スピーチの問題が私たちの面前に浮上してきたと言えるのです。そして、さらにそのことによって、差別を金儲けの手段にしている醜悪な嫌韓ビジネス(「愛国」ビジネス)や国連の人種差別撤廃委員会が「勧告」のなかで指摘した政治家や官僚とのただならぬ関係など、ヘイト・スピーチを背後にある問題もあきらかになってくるはずなのです。
ひとつは、小渕優子経産大臣と松島みどり法務大臣が辞任したニュースです。安倍政権の「成長戦略」のひとつである「女性活用」のシンボルとして登用された女性閣僚5人のうち2人が同時に辞任というこの「異常事態」。まさに「ええなぁ」です。
誰かも言ってましたが、これで残るは極右のカルトばかりとなったのでした。下記のリテラの記事にもあるように、残る3人に稲田朋美自民党政調会長を加えた4人は、「女性」や「母性」についても、「女性が輝く社会」とは真逆のネトウヨレベルのトンデモ発言をしているのです。
リテラ
母乳強制、DV擁護、中絶禁止…安倍内閣・女性閣僚の「反女性」発言集
要するに、彼女たちは、マッチョ思想(男尊女卑思想)のおやじたちお気に入りの女性にすぎないのです。安倍政権が言う「女性活用」「女性登用」というのは、本音は「女性利用」にすぎず、権力を握るのはあくまでおやじたちなのです。彼女たちは、権力を握るおやじたちのためならなんでもしますわという「あなた好みの女」にすぎません。そうやっておやじたちにしなだれかかり、頭を撫でられきたのでしょう。その行き着く先が、極右思想であるのは理の当然です。「閑人舎通信」の新藤厚氏は、山谷えり子拉致問題担当大臣兼国家公安委員長について、「山谷親平の娘はむかしはサヨクだったはずである。いつ頃転向したのかは知らないがテレビでの話し方を見ていても可哀そうなほどの知性である」と書いていましたが、そうやってカルトな極右思想でおやじたちを喜ばせ、大臣にまでのしあがってきたのでしょう。
小渕優子経産大臣の問題も然りです。どう見ても彼女は、おやじたちに担がれた「お姫様」にすぎないのです。今回の「カネの問題」の背後にあるのは、信じられないような古い政治の構造です。もちろん、それは連綿とつづくタカリの構造でもあります。それがこの国の保守政党を支える草の根政治の実態なのです。それをマスコミは、「地盤」「看板」と呼んできたのでした。ただ担がれただけの「お姫様」がなにも知らなかったというのは本当なのかもしれません。マスコミは、そんな「お姫様」を将来の女性首相候補と持ち上げてきたのでした。
今回の辞任劇のきっかけは、『週刊新潮』の記事でしたが、いちばん最初に書いたのは「赤旗」で、いわば新潮は「赤旗」をパクったようなものです。一方、新聞やテレビは、トンマな提灯記事を書きつづけ、辞任劇もただ手をこまねいて見ていただけでした。昔、『文藝春秋』の記事が発端となったいわゆる「田中金脈問題」で田中(角栄)内閣が倒れたとき、新聞記者たちは「あんなものは前から知っていた」と嘯いたそうですが、今度もまた同じセリフを口にするのでしょうか。
ところで、小渕大臣辞任に関連して、多額の政治資金が実姉夫妻が経営する南青山の「服飾雑貨店」の商品購入に使われていたことが話題になりましたが、その報道のなかで、実姉が独立する前に、今はなき「イソップ」というポストカードの会社でデザインを担当していたということを知ってびっくりしました。「イソップ」は私も知っている会社で、もしかしたらどこかで会っていたかもしれないと思いました。だからというわけではないですが、小渕優子も政治家などにはならずに、あのままTBSに勤めて、自由に生きていたほうがよかったんじゃないかと思いました。
もうひとつの「ステキな光景」は、橋下徹大阪市長と桜井誠(高田誠)在特会会長との「面談」です。私は、「お前みたいな差別主義者は大阪にはいらない!」「お前こそ、飛田新地に帰れ!」などという名言、いや、怒号が飛び交う動画を見て、「ええなぁ」と思いました。橋下大阪市長は、「面談」のあと、「彼らの宣伝に使われず、一方的に主張だけを述べさせないよう、応対の仕方や打ち切り方を考えて行ったつもりだ」と言ったそうですが、怒号がホントに意図的だったのかは別にしても、橋下市長が言わんとすることはわかるのです。「どっちもどっち」論や「話せばわかるごっこ」などを越えたところにあるのが、ヘイト・スピーチです。ヘイト・スピーチを「言論・表現の自由」で解釈しようとするのは、「講壇民主主義」の空理空論でしかありません。むしろ、あのような怒号(汚いことば)のなかにこそ、問題の本質があるのです。「主張が平行線のまま」などと言うマスコミが、ヘイト・スピーチの問題の本質を理解しているとはとても思えません。
まして警察行政のトップである山谷えり子国家公安委員長が、民族憎悪を煽るヘイト・スピーチのメンバーと思想を共有し「懇ろな」関係にあるという事実は、小渕・松島両大臣の問題など比べものにならないくらい深刻な問題を孕んでいると言えるでしょう。しかし、山谷国家公安委員長に対して、きびしい追求をおこなっているのは欧米のマスコミと一部のフリーランスの記者だけで、新聞・テレビはこの問題に対してもあきらかに及び腰なのです。
ヘイト・スピーチについて、今までマスコミは正面から扱うことを避けてきました。そのため、昨日の動画を見て、びっくりした人も多いのではないでしょうか。だからこそ、あの怒号が飛び交う「面談」は、「ええなぁ」と思うのでした。動画を見て、いろんな人たちがいろんなことを考えたことでしょう。そのことによって、ヘイト・スピーチの問題が私たちの面前に浮上してきたと言えるのです。そして、さらにそのことによって、差別を金儲けの手段にしている醜悪な嫌韓ビジネス(「愛国」ビジネス)や国連の人種差別撤廃委員会が「勧告」のなかで指摘した政治家や官僚とのただならぬ関係など、ヘイト・スピーチを背後にある問題もあきらかになってくるはずなのです。